【庄内の温泉】鶴岡市 あつみ温泉 正面湯と河畔

あつみ温泉は鶴岡市の南端にある温泉地である。
酒田や秋田に北上するときにはあつみ温泉ICから日本海東北自動車道の無料区間を利用するので、高速を越えた先の交差点を左折すれば温泉街があることは知っていた。いつか行きたい温泉としてリストアップはしていたあつみ温泉ではあったが、先を急ぐ気持ちに抗えず常に右折して高速に乗っていた。
今回はちょうどお昼時で、かつ天候も悪く、温泉も今なら空いているだろうと決死の思いで交差点を左折したのだった。

あつみ温泉 正面湯

あつみ温泉の正面湯と下の湯の二つをリストアップしていたが、駐車場がどこにあるのかは調べていなかった。
交差点を左折して山奥に入っていくんだろうと思っていたら、温泉街はすぐ近くだった。駐車場を調べるまえに温泉街に着いてしまった。そのまま温泉街をぐるぐる回って公共の駐車場を探したけれど、旅館の駐車場しか見当たらない。
どうしようもないので然るべき場所に車を止めて、歩いて正面湯を探すことにした。

※温海温泉旅館共同組合駐車場と温海温泉林業センター駐車場が無料で利用できるそうだ。温海温泉林業センターは川のむこうなので、正面湯と下の湯に行くなら温海温泉旅館共同組合の駐車場が便利そうだが、スペースは10台と少ない。

正面湯という名前からして堂々とした作りの建物なんだろうと地図を頼りに正面湯まで行くと、正面湯は町の銭湯のような建物だった。おまけに改修工事をおこなっているようで、足場まで組まれておりまるで風情はなかった。

あつみ温泉 正面湯

利用料200円を協力金箱にいれて入る。昼時なのでやはり入浴客はいない。
鶴岡市の百歳以上の長者番付や共同浴場年間利用者へのお知らせが書いてあったり壁の情報量が多い。ちなみに鶴岡市の最高齢は109歳で、共同浴場の年間利用金額は10,000円だそうだ。

また浴槽の湯が暑かったら水をいれろと観光客に優しいメッセージが書いてあるが、浴槽の湯はまったく熱くなかった。

あつみ温泉 正面湯

正面湯の清掃時間は8時から11時で(下の湯と清掃時間は入れ替わり)、清掃完了時もしくは先行客が水を大量投入したのかもしれないが、熱湯と書いてある源泉も手を入れられないほど熱いわけでもない。二段になっている投入口の湯もそれほど熱くない。
以前は熱くて水を投入しないと入れなかったような各地の温泉が今年はどこも温くなっているような気がする。
温暖化の影響で地下の温度が下がるとも思えないので、温泉は変わりなく自分の体温が上がって分からなくなっているだけなのかもしれない。

あつみ温泉 正面湯

30分ほど正面湯にいたけれど、結局誰も来なかった。観光地の共同浴場を独占できるのは幸せなことだ。

正面湯を出たあと、強風のなか下の湯まで歩いていく。下の湯の清掃時間は11時から14時なので入れないのは分かっているけれど、次に来たときのために場所を把握しておきたかった。
半分くらい歩いたところであまりの風の強さにビニール傘の骨が折れた。どうしようもないので濡れながら歩いていると、買い物袋を下げたおっちゃんとすれ違った。おっちゃんも傘が約にたたないようで、濡れながら歩いている。
風雨の厳しさは地元の人にもよそ者にも等しいようだ。

思いのほか歩き、激しく濡れた。
下の湯は14時までの清掃どころか害虫防除の消毒で15時まではいれないとバツ印にテープが貼られていた。

あつみ温泉 下の湯

食堂 河畔

正面湯から温海川にすすむ路地に河畔食堂という看板が見えた。もう14時に近く、このままでは昼食を食べられない事態になってしまいそうなので、ここに入ることにした。
その前に車を然るべき場所から河畔食堂の駐車場に移動させる。

中華そば 河畔

店は若いにいちゃんが一人でやっている。昼時を外しているので客は誰もいなかった。
券売機のメニューはすべて麺類(だったと思う)で、食堂という名前ながらも実態は中華そば屋のようだ。よく分からないので左上がおすすめだろうと中華そば650円と大盛り100円の食券を買った。
買ったあとにまったく栄養がないなと思い憂鬱になる。

頭上には創業当時の河畔食堂の白黒写真があって、その横には火事かなにかで立て直した河畔食堂の写真が貼ってある。いろいろ苦労はあったようだ。
その当時から中華そば一本だったのだろうかとか考えているうちに、にいちゃんが中華そばを持ってきた。味玉はサービス。

中華そば 河畔

中華そばというのはそば粉で作っているのかと思ったら、そうでもないようだった。
改めて考えると中華そば屋にはいったのは初めてかもしれない。

食べ終えて外に出て正面からみると「中華そば 河畔」と書かれている。温海川と交差する路地から来たので、その通りの「食堂 河畔」という看板しか見ていなかった。看板が二種類あることから代替わりしてから中華そば屋になったのだろうと想定される。勝手な想定なので真偽は不明である。