清水食堂
国道401号で旧伊南村の中心にはいると信号がある。只見側から来ようと檜枝岐村から来ようと、信号は滅多にないのですぐ分かる。この信号を東に曲がるとラーメンと書かれたのれんをあげている平屋がある。それが清水食堂だ。
のれんだけでは本当に店なのか判断つきかねるが(一般の家がラーメンののれんをあげることもないだろうが)、壁に「清水食堂」と書かれているので間違いはない。
それでも周囲を確認し、駐車場に車の出入りがあることを確認した後、入店した。
ちなみに駐車場はJAから見て、建物の向こうの砂利の空き地である。
入口の引き戸をあけると半畳ほどの土間があり、さらにもう一つの引き戸がある。これが歌舞伎町で開き戸だったならば確実に引き返しただろう。このあたりでボッタクリもないだろうから意を決してもう一つの引き戸を開く。
ちょうど昼の混雑が終わろうとしている時間でテーブルには先客の食器が残されていた。一番手前のテーブルに座る。
メニューは壁に木の短冊で貼られており、おもにラーメン、カレー、カツ丼を提供しているようだ。カツ丼はソースかつ丼と煮込みカツ丼がある。
座ったテーブルに残されていた食器を片付けているばあさんに「ソースかつ丼」をお願いする。
水は中央にあるウォーターサーバーから自分で注ぐ。水はその辺の山の水を汲んできても十分だと思うが、どうしているのかは分からない。
ソースかつ丼は思いのほか短時間で運ばれてきた。田舎の食堂では注文してからゆっくり作り始めるので提供まで時間がかかるのが常だが、ここは非常に早い。
ソースかつ丼を食べていると、店のばあさんが「ちょっと休憩」と言いながらウォーターサーバーから水を注ぎ、女性客のテーブルに座り世間話を始めた。女性客、ばあさんともエプロンをしているので、このときに店に入ったら誰が店の人なのか分からないだろう。田舎ではよくあることのなので、こういう場合は奥に声をかけると誰かが反応してくれる。
二人の会話は永遠に続く。女性客(おそらく60代)の言葉は分かるが、ばあさん(70代か?)の言葉がちっともわからない。10年程度の差で言葉はこうも変わるものかと感心する。
しばらくするとじいさんが厨房から出てきてテーブルに残っていた食器を片し始めた。片し終えると空いている椅子に座り、タバコを吸い始めた。
すごい。時代は平成も終わり、すでに令和である。厨房で隠れてタバコを吸う料理人もいるだろうが、昭和とかそういうレベルではなく、井伏鱒二の小説に出てくる駐在が「煙草をのみなされ」という世界がそのまま続いているのである。
ピースとかホープを吸っていてもらいたいが、そこまでは確認できなかった。
女性客とばあさんの会話に入れなかったじいさんは表に出て行った。
会計(800円)を済ませ、表にでる。じいさんは用水路のコンクリートに座りタバコを吸っていた。
「ごちそうさまでした」と挨拶をすると、「どうもありがとうございました」と返答があった。無口なのかと思いきやしっかりした話し方だった。
よこの善導寺を見学し、清水食堂の手前にある食堂跡を見に行く。
こちらは閉店して長いようだが、このあたりは村の中心で活気があったのだろう。
宮本常一のいう村の需要にあわせ交換所、鍛冶屋が出来たという村の形成が、この辺りのつくりから想像できる。
しばらくして戻るとじいさんは所在なげにぶらぶらしていた。
古町善導寺
清水食堂の反対側にお寺がある。山を背景にし、村の寺という感じである。
案内板に数度の焼失を乗り越え1600年に再建されたと書かれている。1500年代後期は安土桃山時代なので、ここでも戦乱があったのだろうか。
本堂の裏手に山に上っていく道があり、そこを歩いていくと更に渋い建物がある。
栄耀堂という観音堂で、かつて地区民が亡き妻を追善するために建立したと伝えられているらしい。
会津の三十三観音めぐりというものがあり、ここはその24番札所である。
いつかその33ヶ所を巡ってみたい。まずは南会津からだな。